#15 「鍛える」ことの重要性

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久しぶりの更新です。今日は思いつくままに。。。

スポーツ選手にとって身体が強いということはそれだけで武器です。「武術スポーツに応用して身体を上手く使えれば筋トレはいらない」みたいな情報もちょこちょこ入ってきます。別に否定はしませんが、それがスポーツ界のスタンダードになることは今のところないでしょう。

日本代表の柔道チームもウエイトトレーニングを取り入れて結果を出しました。NBA選手を見てもガリガリな人はいません。陸上の100m決勝を見れば細い人はいません。僕の近くにいる強い人たちもみんなウエイトトレーニングをしています。

ウエイトトレーニングがすべてではありません。むしろ補助にしかなりえません。が、それでも身体が強いことはそれだけで武器です。同じ技術を持つ人がいたら、身体が強い人の方が出力が大きいですから速く走れます。実際パフォーマンスはこんな単純な話ではないですが、それでも強いか強くないかでいったら強いほうがいいんです。

強くなるのは上手くなるより簡単です。上手にトレーニングをすれば強くなれます。トレーニングをやらないということほどもったいないことはありません。

 

「動作を鍛える」という言葉を目にします。僕はこの言葉にとても違和感を覚えます。「動作」を辞書で引くと

  1.  何かをしようとして、からだを動かすこと。また、そのときのからだの動き。

  2.  機械類が作動すること。

(デジタル大辞林)

とあります。動作は学習するものであって鍛えるものではない、と個人的に思います。動作を改善することはパフォーマンスを向上するために必要でしょう。しかし、「鍛える」という目的語には不適切かと思います。

スポーツはシンプルです。一番速く走った人が勝つ。より多く得点したチームが勝つ。より遠くに跳んだ人が勝つ。どんな練習・トレーニングをしていてもルール内で勝った人・チームが勝ちです。ただし勝った人・チームのトレーニング、練習をすれば勝てるというものでもありません。

「科学」に学びながらより良いものを提供できるよう精進します。